よなごらいふ

日々読んだ本。日本史・世界史。潰瘍性大腸炎。

美しい距離、悪意がないものは、ただ通過させればいい。

山崎ナオコーラの「美しい距離」という本が良かった。

 

妻を看取った男の心情をていねいに書いた良作だ。

 

夫の心の変化、日常と死、それらを淡々と綴られている。この夫の考え方が好きで、共感する。生きることや自分の感情に誠実に向かっている。そんな生き方がしたいと思った。

 

日々暮らしていくと、自分が何を考えているのかが分からなくなるときがある。雑に生活しているなと感じる。そんな時に、ていねいに書かれた小説を読むと、心が落ち着いて、今の自分に向き合える。

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感受性の問題

この本を読んで、「なぜ?あのことで心がザワザワしたのか」「なぜ?このことで腹をたてた自分がいるのか?」そのまま過ぎてしまうことでも、ふと立ち止まって考えてみるきっかけになった。

 

この本の中には、『漠然とステレオタイプ的に物事を考えることの危うさ。』『自分の物語で他人の気持ちを考えることの傲慢さ。』が書かれている。どれも大なり小なり誰もが持っていることだ。それが悪気なく人を傷つけることがある。気をつけて生きなければ、ならない。

 

しかし結局のところは個人の感受性の問題になる。受け手の問題だ。  

 

美しい距離

 

「上手くいかなくなってしまう人間関係」を作っているのはこちらの感受性の問題なのだろう。

 

こちらの感受性の問題だったか、心の狭さのせいで、いつもいらいらしてしまう。やはり、相手のせいではなかったのだ。

 

同じことを言われても、時や人によって受け手の心は変わってくる。自分の気持ちの感受性を大切にすると同時に、ふと我に帰れば、それも考え方によってどうにでも受け取れる。悪意がないものは、ただ通過させればいい。

 

人を大切にすることをいつも忘れてしまう。

 

テープを切る瞬間は特別かもしれないが、その瞬間を見守っている人たちだけが選手にとって大事な人ではないだろう。練習につき合った人、スタートの背中を押してくれた人、沿道で応援してくれた人、どの人も大事に違いない。

 

  他人が他人をジャッジすること

仕事というものを、誰かを幸せにする行為だと思い込んでいた。他の誰かを幸福にする代わりに自分が社会で生きていくことを許されるのだ、と。だが、違うかもしれない。幸福だの不幸だのというのは当人の感覚で判断するもので、他人がジャッジできるものではないだろう。

 

  仏教の「今この瞬間」という考え方にもつなげて、

未来を見ないで前向きに明るく過ごす方法もあるのかもしれないが、どうしてもまだわからない。

 

未来も過去もとらわれることなく今瞬間に集中しようという考え方がある。なかなかできることではない。つい先のこと、過去のことを考えてしまう。未来を見ることで、前向きに明るく過ごせるという考え方もあるのではないか。  

 

距離感についてのとりとめのない話

 

自分とヒト、自分とモノ、自分とコト、なんでも適切な距離感みたいなものが存在する。小説の中でも妻のこころ、身体が変われば、夫との距離も変わってくる。夫自身が変わっても、妻との距離が変わってくる。距離が変われば、自分の心が変わっていく、心が変われば、距離も変わっていく、留まることをしらないのが、なにかとなにかの距離。

 

あなたとの距離感はさっきまでのものとは違うのだ。そして何もなければ、常に離れようと離れようとするのが人と人との距離。  

 

エントロピーは常に増大している。だから、人と人との距離はいつも離れ続ける。離れよう、離れようとする動きが、明るい線を描いていく。

離れることは、寂しいものだと思うかもしれない。そうではない、離れていくことこそ、自然な働きだ。

 

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