高く本を積む

日々読んだ本。社会人の勉強(日本史・世界史・経済学)潰瘍性大腸炎。

あいさつなんてできなくていいと思う。

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僕はあいさつはあまり大切にしてきませんでした。あいさつに価値を置いていなかったのです。学生時代は友達にさえ、きちんとあいさつをしていませんでした。バイト先の大人にはしていましたが、それもなんだかした方がよさそうだと思って無理矢理していました。

 

社会人になってから、体育会系の会社だったので、否応なしに気持ちの良いあいさつをしていました。元気に明るく大きな声で、ばかの見本のようなあいさつが得意でした。若さとバイタリティを求められていた会社でした。

 

その中で気がついたことが、あいさつ至上主義者がいるということです。その人はあいさつがすべてです。あいさつができなければ×、できれば○。そう考える人がけっこういると言うことです。これは「めんどくさいぞ」と、初めて入った会社で思っていました。でもよく考えれば、元気にあいさつしとけば大丈夫なんじゃないかと考え、元気に明るく大きな声であいさつしていました。上司の受けはよかったように思います。「あいさつ至上主義」それは一つの考え方なので良いと思いますが、こちらは気をつける必要があります。あいさつだけで評価がすごく下がってしまうからです。実際にあいさつが苦手な同僚はいました。その子の評価はあまり良いものではなかったです。(評価はあいさつだけじゃないと思いますが)あいさつは上手じゃないけど良い人だよって言いたくなるときもあります。

 

 

しかしその後学校の教員をしていた時は、子どもに特にあいさつを強要しませんでした。あいさつをする必要と大切さは伝えていましたが、それぞれの性格があると考えていたので、できない子やしない子に無理やりさせることはしませんでした。社会人時代に元気なあいさつをしすぎた反動でしょうか。見ていたのは、子どもの普段のあいさつとその日のあいさつの違いだけです。いつもと違うあいさつの時は、その日のその子を気をつけてみるようにしていました。

 

僕の子どもは、人見知りなのでなかなかあいさつができません。あいさつをしても声が小さい。小さい声でもできたらほめます。そして「相手に聞こえるように」あいさつをするように言っています。

 

子どもにはそう教えていますが、僕は人が挨拶をしなくてもなんとも思いません。こちらがして返ってこないと少し残念ですが、あいさつに価値を置くか置かないかは人それぞれだと思うからです。またタイミングもあります。たまたまうまくあいさつができない時もあるかもしれません。不器用な人はちょっとしたタイミングを逃すと、うまくできないことがあります。僕が苦手だから、その辺り少し寛容なのかもしれません。

 

あいさつはプライドです。あいさつをしない人は、やくざの親分や会社の偉い人です。偉い人はあいさつをしないのです。手っ取り早く偉くなりたいなら、あいさつをしなければ良いのです。若い頃は偉く思われたいですから、あいさつをしません。一種のマウンティング?みたいなものです。あいつより偉いからあいさつをしない。しない僕は偉い。こんなふうに考える人がいるかもしれません。それはそれで良いです。

 

僕はあいさつが上手にできる人は素敵だと思います。これからの目標、爽やかなあいさつのできる人になる。そんな素敵な人になりたいです。

 

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